※ここで紹介する物語の解釈は、あくまで個人的な見解です。こんな考え方もあるのか!という風にお楽しみください。
近代的な価値がもはや無意味であるということが、ポスト・モダンの出発点でした。前回、私たちはポスト・モダンの思想を通して、近代的な価値と、個人の個有名の問題を考察しました。個人名が喪失する。それは言い換えれば、すべての価値は相対的であるということです。なにかを絶対的な至上の価値として認めることは、もはやできない。それが、いま私たちが生きている時代の状況なのです。こうした価値の相対性は、例えば思想史の流れ全体にも影響を及ぼします。具体的に言えば、もはや哲学や思想の中心はヨーロッパではない、ということです。エドワード・サイード(1935-2003)は、このヨーロッパ中心主義のもと、東洋(オリエント)の文化を劣ったものとして見なす傾向を「オリエンタリズム」と名付け、批判しました。今回は、オリエンタリズムの視点から、プッチーニ作曲『蝶々夫人』の物語を考察したいと思います。
1.オリエンタリズム批判
サイードがヨーロッパが持っていた自己意識を指摘しました。次のようなものです。東洋人は精神的、肉体的に劣っている。対して西洋人は、東洋人とは違う存在、つまり、精神的、肉体的に「劣っていない」。この西洋人の自己意識は、18世紀以降形成されたもので、近代の主要な価値観として作り上げられました。西洋と東洋という二項対立は、意識の問題だけにとどまりません。学問的にも、東洋は劣っていると考えられたため、東洋の人々は自らを分析することができない。だから「東洋学」という仕方で、西洋の人々が彼らを調査し、記述することが行われました。こうした風潮は、文化、宗教、言語などを押し付けることになり、植民地支配の土壌となりました。
しかし、こうした「オリエンタリズム」には、実は根拠がない、というのがサイードの批判です。「東洋」と呼ばれている地域は、実は非常に広く多種多様であり、それを「西洋」と対立する一つの領域として考えることはできないのです。だから、「オリエンタリズム」は、「西洋」というアイデンティティを確立することには役立ったとしても、「東洋」でくくられた多様性を無視し、それらを価値のないものとして退けてしまうのです。
2.蝶々夫人と「日本」
『蝶々夫人』をオリエンタリズムの視点から見ると、これが単なる個人的な悲恋の物語ではないことがわかります。むしろ、当時の日本とアメリカとの関係、その構造に注目する必要があります。
19世紀末、アメリカ海軍の士官ピンカートンは、駐屯先の長崎で、芸者の少女であった蝶々さんと結婚します。この結婚を、永遠のものであると信じる蝶々さん。しかし実際は、いわゆる「現地妻」であり、ピンカートンにとっては一時の関係に過ぎませんでした。子どもも生まれ、アメリカに戻ったピンカートンが、また長崎に帰ってくる日を待つ蝶々さん。蝶々さんは、ピンカートンのために、キリスト教への改宗までしている。しかし、帰って来たピンカートンにはアメリカ人の妻があり、子どもを引き取ってアメリカで育てると言う。蝶々夫人はひとり、刀で自死することを選ぶ。
悲劇はなぜ起こってしまったのか。元凶を、ピンカートンひとりの性格に帰することはできない、というのが私たちが考えたいことです。例えばドン・ジョヴァンニのように、まわりの貴族からも恨まれるような極悪人がいました。しかし、ピンカートンがそのような人物だったのかというと、おそらくそうではない。むしろ問題は、なぜピンカートンのような行動が許されてしまったのか、ということにあります。それは、東洋にある「日本」という国が、物語の時代において、どのようなイメージを持たれていたのかと関係しています。
3.蝶々夫人をめぐる多様な視点
2007年、あるイギリスのオペラ研究家が、『蝶々夫人』は人種差別的な作品であるという見解を示しました。そもそも、この作品のストーリーに、人種差別的な発想が入っているというのです。この批判が正しいかどうかは別にして、注目すべき指摘であると思います。『蝶々夫人』の原作は、1898年、アメリカで書かれました。アメリカもまた、その成立においてヨーロッパ的文化を受け継いだ「西洋」です。原作は、実話をもとに書かれたと言われています。またその小説をもとに、戯曲化されました。蝶々さんの自死という悲劇的なラストは、この戯曲版によるものです。これらが書かれた年代からして、当時の時代状況をよく表していたのでしょう。この話が「悲劇」であるのは、単にピンカートンというひとりの男の問題なのではなく、むしろ時代の精神、状況が生み出してしまった出来事であったからです。(なぜなら、古代ギリシャにおいて生まれた「悲劇」という形式は、人間が抗えない運命に翻弄される物語を指しているからです。)「日本」に対するイメージは当時、奇妙なもの、滑稽なものとして描かれることが多かったようです。しかし『蝶々夫人』は、「日本」での出来事を悲劇として表現しました。蝶々さんの恋愛を悲劇として切り出した原作には、「オリエンタリズム」に対する批判を見てとることができます。
もちろん、『蝶々夫人』という作品の成立に、差別的側面がまったくなかったというわけでもないでしょう。そこには確かに、西洋が作り上げてしまった「日本」のイメージが反映されています。しかし、私たちが改めて注意したいのは、現代の私たちもまた、この「オリエンタリズム」を持っているのではないかということです。つまり、『蝶々夫人』に描かれる日本人像を、まるで文明化される以前の、劣った姿として受け取ってしまう。言い換えれば、充分に「西洋化された」私たちという場所から、「東洋」を捉えてしまうということです。それはもしかしたら、現代の世界に対して、私たちが陥っている視点かもしれないのです。『蝶々夫人』は、日本が舞台であるだけに、非常に様々な仕方で受け取られ、評価されてきたオペラ作品です。それだけに、私たちがいま、いったいどの視点に立つのかを鋭く問いかけます。私たちは「東洋人」なのか、それとも「西洋人」なのか。いや、そうした二項対立を乗り越えるべきなのか。私たちはどのようにこの作品を観るか。『蝶々夫人』はそのように、私たちに迫ってきます。
参考文献:
貫成人、『図解雑学 哲学』(ナツメ社、2020年)。